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中心街から徒歩10分ほどの中島公園にある豊平館(ほうへいかん)。明治の初め(1880年)に建てられ、欧化政策を象徴する意匠が随所に見えながら、古くさくない。
「何よりあのクッキリした色合いが公園全体を引き立てている。歴史が浅い北海道では貴重だし、土地っ子には外せないパーティー会場かな」
北海道をテーマにした本を多く手がける出版社の社長、和田由美さんは、この国指定重要文化財にそんな愛着を寄せる。
近所で育った和田さんにとって公園は子供のころからの遊び場で、よく散歩もした。園内の池のボートはデートの定番だった。「豊平館が視界に入ると心が軽くなったし、建物の存在自体にパワーを感じた」
大人になってからも仲間の結婚式や出版イベントで何度となく中の大広間を使った。「メダリオン(天井飾り)から下がる厳かなシャンデリアも牡丹(ぼたん)唐草文様のカーテンやじゅうたんも立派だけど、歩くたびミシッ、ミシッと大きくたわむ廊下の板張りに味がある」
自分も同郷だから気持ちはわかる。札幌の観光名所と言うと時計台や道庁の赤れんが庁舎が有名だが、札幌っ子には豊平館もなじみ深いのだ。
「ここが市営の結婚式場として使われるのは1958年(昭和33年)からで、この半世紀で2万2000組が式を挙げています。ホテルや専門施設での披露宴が当たり前の今だって、挙式は年に100組近い」。館長の塩田恒雄さんの示す数字に、その親しみやすさが表れている。
それにしても、北海道開拓使(当時の官庁名)が手がけた日本初とも言われる本格洋風ホテルは、なぜこんな色合いだったのか。
「白群青(びゃくぐんじょう)とも呼ばれるこの色はアフガニスタン原産の鉱物から取った顔料が元になっていて、開拓使がわざわざ国外から持ち込んだ。あの時代に使うのはどう考えても大冒険だったはず」(塩田さん)
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〈しんとして 幅広き街の 秋の夜の 玉蜀黍(とうもろこし)の 焼くるにほひよ〉。道都の中心街を東西に貫く大通公園の片隅に、啄木のこの歌碑がある。
豊平館完成から27年後の1907年(明治40年)、わずか2週間ほどながら札幌に居着いた歌人の、ある日の感慨だ。
荒涼とした石狩の原野にあらがい、碁盤状に整然と広がる人工の街路。そのとらえどころのない、しかし確実に近代的な「幅広き街」の威容は、若き天才歌人の度肝を抜いたに違いない。
なぜ、豊平館はウルトラマリンブルーなのか。郊外の大倉山ジャンプ競技場から街を眺めて得心した。未開の荒野に一大計画都市を造る――それまで見たこともない鮮やかな色彩には、開拓に込めた往時の心意気が宿っていたはずだ。(宇佐美伸、写真も)