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100メートル世界新―常識を打ち砕いた9秒69

2008年8月18日

 なんとしなやかで滑らかな加速なのだろう。ジャマイカのウサイン・ボルト選手が陸上競技の男子100メートルで9秒7の壁を突き抜けた。

 北京五輪の晴れ舞台で、電光掲示が映した数字は9秒69。21歳のスプリンターが演じた衝撃的な世界新記録に、世界の人々が酔ったに違いない。

 俊足自慢ぞろいのレースで、誰よりもリラックスしていた。

 スタートの位置につくまで、場内の音楽に合わせて体を揺らしていた。選手紹介の場面では、自らの胸をたたいて「ぼくだよ」とおどけたしぐさ。ゴールの10メートルほども前から勝利を確信。両手を広げ、歓喜のポーズのまま駆け抜けていった。このリラックスぶりが、技術的にも世界新記録の原動力の一つになっていたといってもいい。

 走るというもっともシンプルな動作は、神経と筋肉の複雑な連係プレーから成り立っている。

 例えば、脚を動かすには太ももの前と後ろの筋肉を交互に収縮させる必要がある。トップスピードに乗ってから「さらに速く」と考えると、脳が筋肉へ与える指令が速くなり、混乱して前と後ろの筋肉が同時に収縮する現象が起きやすい。こうなると筋肉が固くなり、速さは鈍る。

 彼の残り10メートルは流しているようにも見えたが、緊張せず、最後まで神経と筋肉を制御していたに違いない。

 人間はどこまで速く走れるのか。研究者たちの間では9秒6が限界の一つに挙げられてきた。早大・人間科学学術院の鈴木秀次教授も、かつてそう予想した一人だ。様々な運動能力の向上などから考え合わせた結果だったが、あっさり到達されてしまった。

 「頭が小さく、腰回り、ももの付け根が太い。失礼な例えだが、サラブレッドのようだ」と鈴木教授はみる。

 身長196センチはそれだけで短距離走者の常識を覆すサイズだ。小刻みに足を使うスタートに失敗すれば、ストライドが生きる最高速度に達する前にレースが終わってしまう。従来なら違う競技を勧められていたに違いない。

 常識を疑うことで可能性は生まれる。近年の記録向上は靴やトラックの改良もあるが、肉体そのものにまだ記録が伸びる余地があることを示した。

 歴史に残るという意味では、競泳男子のマイケル・フェルプス選手(米)による金メダル8個獲得も偉業だ。72年ミュンヘン五輪で同じ米国のマーク・スピッツが記録した7冠を上回っただけではない。フェルプス選手の金は1人で四つの異なる泳ぎをこなす個人のメドレー2種目を含んでいる。

 競泳では最も長い間破られなかった女子800メートル自由形の世界記録が、19年ぶりに塗り替えられた。

 限界にみえるような記録も壁も、いつかは乗り越えられていく。