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時の刻印 村に城に湖に(アルプス=ドイツ)


変わりやすい天候によって刻々と表情を変えるキームゼー湖。宮殿のあるヘレン島とは別に、女子修道院の立つフラウエン島(中央)にも上陸できる
ミュンヘンから南へ90キロ下ったアルプスの村オーバーアマガウには、至る所に“俳優”がいた。宿泊先ホテルのオーナー、ゲオルク・グラースさん(59)はローマ総督ピラト役。

 観光ガイドのマルクス・ワーグナーさん(49)はユダヤ人兵士役。劇場広報のフレデリック・マイエットさん(28)は使徒ヨハネの役……。

 人口わずか5300人のこの村は、10年に1度、住民が「キリスト受難劇」を演じることで知られている。イエスが捕らえられ、十字架上で息絶える聖書物語を基にした芝居が、裏方を含めて約2500人の手で作り上げられるのだ。

 直近の公演は、2000年。110回のステージすべてで5000人収容の劇場が満席だったという。申し込みはその3倍、というから、まさに世界一の村芝居だ。休憩を含め8時間の舞台が5~10月に週5回行われ、村民も大変なはずだが、グラースさんは「なに、自分が出番の時間にだけ劇場に駆けつけるのさ」。

 民衆劇は1634年に始まったが、現在の劇場は1900年の完成。訪ねると、舞台裏に住民手作りの甲冑(かっちゅう)や、250年も使い続けているローソク立てなどが並んでいた。「0歳の赤ちゃんも90歳の老人も出演する。多い時には1000人が一斉に同じ舞台に立つんです」と、マイエットさんは誇らしげだ。異世代を一つに結ぶ究極の村の姿が、そこにはあった。

 かと思うと、たった一人が観劇するために造られた伝説の劇場が、このアルプスには残っている。オーバーアマガウから車で15分のリンダーホーフ城だ。ビスコンティ監督の映画「ルードヴィヒ 神々の黄昏(たそがれ)」で有名なバイエルン国王ルードヴィヒ2世(1845~86年)が建てた城だが、敷地には「ビーナスの洞窟(どうくつ)」という人工湖と鍾乳石で造った劇場が残っている。人間嫌いの王は船に乗り、水上でひとりワーグナーのオペラの世界に酔いしれたという。

 度外れた華美、幻想の世界。堅苦しい宮廷を嫌い、政務をほったらかし、「おとぎの国」作りに大金をつぎ込んだ国王の趣味を、城内のけんらん豪華な装飾ともども、ため息が何十回も出るほど堪能した。

 狂王といわれるルードヴィヒ2世が残した遺産は、125キロほど東へ移動したキームゼー湖でもひたることができる。絶対王政のフランスにあこがれ、ベルサイユ宮殿を模して造られたヘレンキームゼー宮殿が、湖のヘレン島に鎮座しているのだ。

 住むためでなく、見るために造られた未完成の宮殿を見に島へ渡ると、国王のさらなる蕩尽(とうじん)ぶりを見せつけられた。例えば、2200本ものロウソクがともる「鏡の間」。王はここで夜ひとり、幻影を追っていたという。そこには、近代へと変容する19世紀ドイツのきしみの中で、幻に逃れることで自らを癒やそうとする虚無の気配があった。

 旅の終わりにドイツ人にならい、ワンダーフォーゲルを試みた。登山して自然を満喫するのだ。30分かけてキームゼー湖を一望できる山小屋まで登った時、えもいわれぬ安らぎを覚えた。山小屋のおかみクラウディア・ゼヒラーさん(53)が言う。「湖は刻一刻変化する。見ていて全然飽きません」。国王の狂気。民衆の正気。刻々と変わる湖面の色。すべてを取り込む山々は、のどに流し込むビールともども、まさに豊潤な味わいだった。(植田滋、写真も)

 ●あし 成田空港からミュンヘンまで直行便で12時間20分。ミュンヘン市内からオーバーアマガウ、キームゼー湖畔まで車でそれぞれ1時間強。